くまゆうむ

YMOりあるたいむへんたいよいこくまゆうこころとめでぃあの日記改め

ももがとうとう星になってしまった日

kumayou6662016-01-13

日付けが13日に変わってから三時間ほどでももは逝ってしまった。
17年と約2か月の生涯だった。ねこの寿命からすれば長生きな方だと思う。
それでも具合がわるくなってからあれよあれよという間だった。
クリスマスの当日に、今までずっとばりばり食べてた
ドライフードを食べれなくなって夜遅くに半泣きで
近くのコンビニに猫缶を買いに走って食べさせたら
少し食べてくれたのでちっとだけほっとした。
それからの詳細は割愛するけんども
獣医さんに連れてったときのストレスからくる
もものダメージさったらもう半端なかった。
結論から言うと延命するのはやめて家で看取る道を選んだ。
どんどん痩せて軽くなっていくももにはぢめは胸が張り裂けそうに
なったり絶望したりしながらも、あちきは腹くくった。
最後まで見守るなんてそんな残酷なことに耐えられるんだろうかと
思ったけどなんとか腹くくってがんがった。
いちばん辛い思いしてがんがってるのはももなんだから、
と自分に言い聞かせた。そして、どうかちっとでもももが
苦しかったり痛かったりすることなく安らかに旅立てるよう祈りつづけた。
そして神さまはなんとかその願いを聞き入れてくれたのか
ねっとで調べて震え上がって号泣した死に際の検索結果のようなほどの
ひどいことにはならずにももは水ようびの明け方近くに眠りについた。
目を閉じさせても少し開いてしまうのだけれど
それが生前のときとかわらぬやさしい目やさしい顔で姿勢も
眠ってるようにしか見えなくてほんとにきれいで
そんなももをきれいなうちに送ってあげようと思い
その日のうちに荼毘に付してお骨を拾った。
これ以上ないってくらい快晴で青空でももを送るのに
神さまがまた取り計らってくれたんだなて思えてほんの少し救われた。
ももはほんとうにすばらしいねこだった。青い目、整った顔。
ビロードのようないい毛並み。しなやかに伸びて、それでいてかっしりした手足。
いい匂いがしていつもももをぎゅっとして匂いをかいで何べんでも撫でた。
ももはにんげんのようだった。表情だのなんやかんや。
たいてい、ペットを飼ってたり、幼いわが子を持つ親はどんなにそのわが子が
特別で可愛いかを熱弁して親ばかぶりを披露するものだけれど
その輩とおなぢと思ってもらってかまわない。ふんでもともかく
ももはほんとにすぺしぁるでにんげんねこで最強にして最高のねこだった。
ほんとうに心の拠りどころだった。生きてるだけで精いっぱいなあちきだけんども
ももが心の支えでありもものために生きててももがいちばんだいぢだった。
ふつうは部屋のすみにごはんとお水を置いておいてねこが自分がそこへ行って
食べたり飲んだりするのがふつうなわけで、昔はうちもそうしてた。
ももがまだ若いねこだった頃は平気でほったらかして出かけたり旅行いったり
いやもちろん旅行とかの時は家の他の者が居たけどそんでもけっこう
ほったらかしてた時期もあっりした。でもいつ頃からだろう、
3・11のあとくらいかな、正確な時期は失念したけどももがたまに咳を
するようになって、なのに自分ぢゃお水を飲まない。
仕方ないからはなっつらに器を持っていったらものっそい飲みだして
それ以来お水を飲ませて、次第にごはんも手からでないと食べなくなり
そしてももはいつしか王様となり、手でそのつど食べさせてお水も器を
はなっつらに持っていって飲ませるようになった。そんでもって
年をとるにつれ冬毛と夏毛の生え変わりがにぶくなってきて
長毛種で毛がみっしり生えてるからちっと油断してお水が足りないと吐くようになった。
だから放置できるたいむりみっとは最長で4時間。
それ以上家を空けることもなくなりそれ以上眠らないようにした。
新生児のミルクをやるインターバルといっしょら。
舞台観にいったりして1日家を開けなきゃならない日は
家人に有給取ってもらってももについててもらった。
ともかくももは王様でももが生活の最優先で中心だった。
まるでほったらかしてた時期の分を取り返すようにもものそばに居るようになった。
まるでそんな贖罪の日々は正直たいへんぢゃないて言ったらうそになるし、
しんどい時もあったけどそんな苦労なんか吹き飛ぶくらいのものを
ももからいつももらってた。それはいやしだのなんだのな言葉ぢゃ
もうぜんぜん足らんなんだろう安らぎとか多幸感とかなんだかんだ形容すると
みんなうそっぽくなるうまい言葉が見つからない
そう言葉なんかいらないのらよむーみんくん、ただももを抱きしめて匂いをかいで
ももを撫でてももと見つめ合うただそれだけでよかったんだ。
それだけでしあわせだった。
ここ数年は昔よりも、いやべつに昔だってちゃんと可愛がってたけど
そんでも以前にも増してももがいとしくてたまらなかった。
可愛くて可愛くて仕方なかった。1日に何回ももに可愛いねえて言ったか分らなかった。
思えばなんかの兆しだったんだろか。
ももは可愛い可愛い言われてうんざり顔のときさえあった。
ももはぜったいにんげんの心の内だとか話してることとかわかってたにちがいない。
たまにぼくはみんなお見通しだよて目で見られてこわくなるくらいのときさえあった。
ほんとに賢くてこころのやさしいねこだった。最初で最後のねこだった。
少なくとも今住んでる場所むではもう二度とねこは飼わない。
ももが居なくなって手足をもがれたようだよ、もも。
これからももがいない人生うまく生きていけるかどうかぜんぜんわからない。
正直いままだこころが現実うけとめれてない。
家で看取るていう選択も正しかったのかとかもういろんなこと思ってぐしゃぐしゃ。
多分もものこと思って泣かなくなるのに何年もかかると思う。ともかく今はやりすごして
生きていくしかない。泣いてもわらっても、日常は、人生は、まだ続いてる。