くまゆうむ

YMOりあるたいむへんたいよいこくまゆうこころとめでぃあの日記改め

女教師その後

ああもっかい観たいなあと気持ちをコクーンに馳せつつ
パンフ眺めたりシアガ買って読んでみたりしてみても
余計に思いははやるだけでオペラグラスを忘れてったことを
後悔しつつふんでも当日券さえ並んでも取れないらすい情報とかに悶々としつつ
もう来週おわっちゃうしくどかんは早く観に行けよラジオで観たいわ出たいわ
とか言ってんのを聞いてあの劇中に宮藤分が足されたらとか脳内劇場しつつ

女教師は二度抱かれた松尾スズキが独特の切なさ表現
http://www.asahi.com/showbiz/stage/theater/TKY200808190276.html
松尾スズキは観客を不安にさせる。怪しい異世界にいざなうことで。
松尾スズキは観客を楽しませる。毒を塗った矢尻のような、
鋭い笑いを放つことで。新作「女教師は二度抱かれた」もこの両面を併せ持つ。
さらにこの舞台で、松尾は観客を切なくさせる。
手元から夢がこぼれ落ちてゆく人々を描くことで。

きょうあっぷされた朝日のれびうの方がじぶんの鑑賞後のきもちに近かった。

[評]女教師は二度抱かれた(Bunkamura)
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/stage/theater/20080813et03.htm
観客つかむ大竹の存在感
テネシー・ウィリアムズの「欲望という名の電車」に着想を得た作品。
「欲望――」では、元教師のブランチは少年との関係を問われて職を解かれ、
狂気に陥る。諒子(大竹しのぶ)もまた、同様の過去を背負う。
能で言う「物狂い」の女。彼女は豊かな感情表現で、観客の心をつかんで離さなかった。

13日にあっぷされたよみうりおんらいんのれびうはなんか違うよな別に社会を
告発とかぢゃないよなもっと人間の内面の話ぢゃないのか。
確かに笑いどころはいっぱい仕込んであったけどその裏側の哀しさとか切なさとか
そっちの波動ばっかきゃっちしちゃって泣けた確かに酷評のレビューとか読んでみて
それはそれで判る言い分もあるけどこういうのってとどのつまり最後は好きずきぢぁん
少なくともあちきの心まで何かが届いて感情が動いて涙が頬を伝ったのは事実であって
結果あちきにはだいぢな必要な作品になった。でももう公演も折り返したことだし
ネタバレ的なこと言っちゃうけど松尾スズキさいご歌にしちゃうのすきらよなあ
あれはなんともかんともなかんぢでまとまったお金の唄のラストも横一列に並んで
ビートルズ歌われたときは鳥肌悪寒したしキレイ神様と待ち合わせした女の再演は
いまだにあちきの中で最高にネ申作品だけど初演のDVD借りきて見てあの奥菜恵の熱唱に
かぶさって踊る松尾スズキには怒りで全身の血が逆流した。再演のラストの蘭々のソロ熱唱が
終わってお辞儀をしてはっと我に返った観客たちが心底こころ震わせて拍手して
それが伝わった蘭々もまた満足して微笑んでまたお辞儀してみたいな目には見えないけど
意思の応酬がより涙をとまらなくさせてほんと魂がふるえたの今でも鮮やかに覚えてるから
初演よかもう500倍再演が好き断然再演派。ああなんだっけだから最後歌って終わりとか
悪乗りとかだけは頂けないな毒とワルノリは違うべ別に歌にしないであのまま後味悪い刹那な
かんぢで終わらせられたらもうほんとネ申だったのに。あのラストだけは残念。
でもそのラスト差し引いてもよかったんだけんども泣笑。そしてああもっかい観たいの
振り出しに戻ってまた悶々たいむはつづく。