くまゆうむ

YMOりあるたいむへんたいよいこくまゆうこころとめでぃあの日記改め

初めて喪主になった日の話。

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まあタイトルははじこいのおまんぢゅうなんだけんども。
ていうか正確にはここに至るまでの話しの方が
主たるものなんだけんども。
それはさておき。

きょう、父の亡骸が荼毘に付されたわけで。
一昨々日、日付けが変わったばかりの5月1日の夜中に
あちきのあいぽんに父が入院してる病院から電話が来て
その意味をなぜか0.1秒くらいで理解してすぐに
電話の向こうの声はすでに呼吸がとまってることを告げてて。
年内はむずかしいって主治医から言われてて終末医療の病院に
転院する準備をすすめてた矢先だったからかなりの急変だったと思う。

ともかく、この両親の異変のすべては去年の10月9日に始まって。
その日、うちの留守電にママのいつもと違う感じで父親が
救急搬送されたことを残しててどうせいつもの大したことないやつだべ
とか放置してたら今度は病院からメッセージが何件も入ってて
そのまま父親は二週間入院ののちショートステイに二週間行ってから
自宅に戻ってきて。その間に台風19号が来たりなんやかんやありーので
あっという間に十二月には両親そろって介護認定受けて今年の2月ごろには
ヘルパーさんが週二で入る生活ですっかり落ち着いて、このままなんとか
両親はこの生活が続けられるんだろかと思ってたら4月に入って父が
急速に弱ってきて起き上がれなくなって。それまで十五年以上前から
家事がいっさい出来なくなったママに代わって食事の支度とかも父がしてたから
父が倒れて母もごはんが食べれなくなって。それをママはすぐに電話してこないし。
もうとにかく業界用語で居宅介護ていう、自宅に居て訪問介護だの訪問診療だのの
サービスを受けて生活していくっていうのが出来なくなって結局父は自宅に
帰ってくることなく亡くなり、ママはショートステイて形でホームに行き今に至る。
て、感じなんだけんども。まあこれまでの経緯とかものっそいはしょって書いてるし
今後、母の終の棲家をどうするのかとか、実家の売却問題だとか
あちきのひっこし問題とかもうほんとにこれからろもろもろなんやかんや
てこなしていかなきゃなんないこととか、やること三千個くらいあるし。

そんでもってまず今日父親の葬儀ていうひとつの区切りがついたんだけんども。
ぶっちゃけ正確には葬儀ていうかいわゆる今はやりの直葬とか火葬式て呼ばれるやつで
通夜だの本ちゃんの葬儀だのとっぱらって亡くなった病院からそのままその葬儀社の安置所で
火葬の日まで安置してもらって火葬の当日はほんとに火葬だけみたいなシンプルプラン
まああちきがそれを選択したんだけんども。だって正直父親にそんなお金かけたくなかったし。
父親との確執ていうかまあこっちがものっそい毛嫌いしてるっていう感じなんだけんども
あちき養女でママの弟夫婦の三番目の子どもで、もしママたちがもらってくれなかったら
堕胎されてたらしくて、それってすごくない?ものっそい強運なんでない?って
昔っからこのネタ誰かに話すときセットでドヤ顔で言ってた笑ぃ。

生まれて三日目で今の家にもらわれてきたあちきはそれはそれは溺愛されて
育てられてしまったわけで泣笑ぃ両親にとって遅くできた子どもみたいなもんだから
そりぁもう可愛くてしょうがないみたいな感じだもんでまあ食べさせられたわ泣笑
しかもこれまたたいみんぐわるいことにその頃のうちって街の中華料理屋だったから
学校から帰ってきたらおやつは特製味噌ラーメンと三矢サイダーなんつうもう
巨大化まっしぐらまちがえなし大泣笑ていうかもう乳飲み子の頃から粉ミルクに
栄養剤入れてたらしいアホだわほんと。だって粉ミルクってもうそれだけで赤ちゃんが
育つようにできてんのにそれにまだ何か入れるってありえないわ。あとうなぎの骨を
細かくしたやつも食べさせたって言ってた気がする。もうなんもいえねえ。
ともかくそんなこんなでそういうとことかほんとに恨んでるし。
子どもとペットの肥満は100万パーセント親のせいだかんね。
だからよく動物の番組でおでぶねことか出てくると怒りで全身の血が逆流する。
愛情という名の過剰な量の食事がどんなに悲劇を生むかちったぁわかった方がいいぜよ。
まあそれはさておき。また置くのか。

ともかくじじいにはママもあたしもほんとに嫌な思いさせられた。
自分勝手で王様気取りで自己中で典型的B型で、あちきのB型嫌いの
ルーツはじじいだし。ていうかママとあたしは二人のときは父親をじじいとか
あいつとか呼んでいつも文句言ってた。ママに手をあげたり夫婦生活を強要したりして
ママはしょっちゅう泣いてたし、そんなママを見てあたしは子どもの頃から
まぢでしんでほしい、はやくしんでくないかなってあくまにお祈りしてた。
あたしが高校のころ家に帰ったら知らないぶっさいくな小太りの女とキスしてたこともあった。
なんでこんな汚らしい女と浮気すんだろって心底じじいを軽蔑した。
その女がこれまたびぢゅあるとおんなぢで性根も腐っててあちきに1000円札渡してきやがった。
1000円って!口止め料のつもりかよ!ほんと顔もこころも汚すぎるわ。
今でもその女の名前おぼえてるわ。ともかく今書いてることは氷山の一角なわけで。

だから、父親が二度目の入院でもう家に戻れないって医師に告げられたときはけっこう
うれしかった。ああやっと長年の夢がかなうんだってよろこんだ。つうかはよしんでくれって
ほんとにひどいこと思ってた。ていうかコロナでほんとは絶対面会できないはずなのに
ラジオと時計を届けに行ったときなぜか病室に入れて姿みたときもうほんとに骨と皮だけになってて
もうほんとにきもちわるくておそろしくて朽ちた古木にしか見えなくて直視できなくて凝視するしかなかった。
もう長くないなって直感でわかったもん医師に言われる前に。だもんで夜中に電話きたときも
いきたくないわぁもうしんどいわぁって文句ぶうぶう言いながら着替えてったし。
そんでもって奇しくもその日の日中に医師から連絡あって顎が外れちゃってどうすんべみたいな話しで
ついでがあったから病院寄って話してったばっかりでそんときはまぁじじいには会ってないけど
その日の夜だったからなんかあたしが来てたのわかってたんでないのかなとか思ったりしつつ。

ふんでもって病室入ったらほんとに顎が外れててすごい大きく口が開いたまんまで亡くなってて
もうこわくてこわくてほんとに直視できなくて、でもなんだかすごい可哀想に思えてきて
このひとの人生ってなんだったんだろうて思ったら泣けてきて、あんなに嫌いで嫌いで仕方なかったのに
まさかじじいがしんで泣くと思わなかったからものっそいびっくりしつつやっぱ泣けて
しねばいいのに思ってたにんげんに本当にしなれるとかなり骨身にこたえるんだと思いつつ
ともかく宿直の医師が死亡確認に来るまで病室でずっとじじいの亡骸と待ってなきゃならなくて
神さまにどうかこのひとを天国に送ってあげてください、せめてしんで極楽浄土でしあわせに
暮らさせてあげてくださいってひたすらお祈りしながら、自分はこんなのぜったいやだわと震えてた。
しぬ七か月前からは、以前よりもずっとずっと頻繁に実家に通って見て来たけどとってもぢゃないけど
しあわせとは思えない生活だったと思う。救急車で入院してそのまましんでしまうとは本人も
思ってなかったはずだし。こんなのぜったいやだわ。だって僕たちはしあわせになるために生まれてきたんだから。
僕たちは愛しあうために生きてるんだから。これからもっともっと人生愉しもう。ぜんぶやりたいことやろう。
まぢでこころからそう思ってこころふるわせた夜だった。

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